リセット病

禁欲主義的理想によって生への意志を否定することを試みた結果、無気力状態となり数年の引きこもりを経験した私であるが。

 

それ以来というものの、定期的にこの無気力に支配されてしまうようになってしまった。人と関わることが面倒で、動くことも面倒。自殺することさえ面倒な状態である。Nちゃんとのデートもなにもかも面倒になってしまい、デートはすべてドタキャン、LINEもブロックしている。ひとまずNちゃんについてはここまでだろう。

 

Nちゃんと1度デートをしたが、デートというものは金がかかる割にはおもしろくない。男にとってデートとは、セックスのためのお膳立てでしかないのだろう。なんというか自己欺瞞的な幻想が晴れた。これからは素直にセックスを目標にしようと思う。

JKとデートをしてきた

昨日Nちゃんと初デートをしてきた。

台風のため、プランを変更し急遽集まったのだがその結果、若干ぐだることになってしまった。昨年度まで東京にいたこともあり、今の土地はあまり詳しくないこともあるだろう。惚れさせるためのデートの時は、念入りにプランを用意した方がよいのだなと勉強になった。6年ほど付き合っている彼女とのデートと同じノリではいけない。

 

ぐだってる際も心理テストなんかをさせられたり、JKらしい側面を見せられ、かわいいらしいなぁなどと思ったり。それに台風のおかげで密着して相合傘をしたりして、なんだかちょっぴり青春気分である。

 

彼女のほうは相変わらず元気で生意気で阿呆だったが、あれでも緊張していたのかな。写真を撮りまくるといっていたのに、そんなに撮らず。そのあたりも次はこちらからリードしてあげたい。

 

引っ越してきた土地であり、リサーチ不足もありグタったところもあったが楽しんでくれたであろうか。早速ラインのアイコンを私とのプリクラに変えているあたり、まぁなんとかなったといったところか。

 

逃げなくてよかった。今の私はコンディションがとても悪く、そんな自分を晒したくない、失敗したくないという思いからバックレも考えたが行ってよかった。たくさん勉強になったし、そういうコンディションの時でもなんとかはなるという自信もついた。

失敗することから逃げ続けた結果www

目先にある幾多もの失敗を避けることはできたが、ついに何も出来ない人間になってしまった。それこそが人生において最大にして最悪の失敗ではないか?

 

タチの悪いことにそんな自分を正当化するためにルサンチマンの城まで建造し、そこに籠城しようとする始末である。

 

もう見栄を張るのやめにしませんか。失敗してもいいんじゃないですか?隠れて生きるのってつまらなくないですか

 

力への意志を肯定するか、最強のルサンチマンの城を建造するか。迷う迷う迷う

 

迷おうが迷わまいが私は意志の奴隷であることには変わりないのだが

清と性。精と生。

人間は意志の奴隷であり、意志を意志することはできない。

 

最近NRちゃんとのやりとりが面倒で仕方が無い。これから控えているいくつかのデートもバックれてしまおうかと考え始めている。理由は単純に、それだけの労力とお金に見合った価値を感じないからだ。

 

どうしてこうなってしまったのか。その理由がわかってしまった。それは昨日の記事にも書いたことだが、精液を放出してしまったからである。そしてその際に、NRちゃんのタイムラインに流れていた水着写真を用いて、性欲を高揚させたからである。

 

なぜそれが意志の減退の根拠といえるのか。私は過去に乃木坂46というアイドルグループに関心があった。彼女らは清楚さと美しさが売りのグループであり、AKBのような下品さも、水着姿を晒すこともなかった。しかし、昨年あたりから水着写真集を出すようになり、私はそれを用いて射精をした。するとみるみるうちに彼女らへの関心が薄れ、もはやどうでもよくなってしまった。今回、NRちゃんとのやりとりがどうでとよくなってしまった過程によく似ている。

 

それと3日前、NRちゃんからついに直接好きであるといわれてしまった。いわゆる告白である。うやむやに誤魔化してはいるものの、長くは続かないだろう。そのあたりも面倒さの一端を担っているだろう。

 

もうやめよっかな。

性と清と精と生の話

賢者タイムと生への意志

なんというかどうでもよくなりつつある。

JKを相手にするのが面倒くさいし、そのために努力したいとも思えない。植物のように生きるか、眠るように死にたい。

 

これが賢者タイムか。

NRちゃんと知り合ってから、ほぼほぼオナ禁状態であったのだが、ここ数日で何度も射精した。その結果なんというかもう相手をするのが面倒で仕方がない状態である。清楚なJKと付き合うためにあれこれ努力をすることも面倒だし、なんなら生きるのも面倒で、かといって自殺することさえ面倒くさい。生への意志が減退している。

 

このような無への意志の状態で生きる、否、ゆるやかに死にゆくことは苦痛でしかない。どうせ生きるのなら生への意志を肯定していたほうがマシである。

 

ショーペンハウアーは性欲こそが盲目なる生への意志を肯定する最高の形式であると述べている。全くもってその通りだと思う。精液をむやみやたらに排出することは、生への意志を遺棄することと同じ行為である。これからはオナ禁も意識してやっていくとしようか。

女子高生NR16歳との時系列

今後の研究の糧になるかもしれないので、いま相手をしている女子高生とのやりとりの現在までの時系列をまとめておく。

 

 

6月第3週

はじめて顔を合わせる。

 

6月第4週

はじめて業務外で声をかける。

正直、この時から彼女はデレデレだった。

彼女が恋愛モードで年上に憧れているということもあるが、私のことが元々タイプだったのだろうか。ステップ1を磨くことの重要性を再認識。

 

7月第1週

私の勤務中や勤務終了後に店に来て、声をかけられる。距離感をバイトの後輩から、恋愛モードへ変更し、いじりなどをいれていく。

 

7月第2週

彼女のほうから連絡先を聞かれる。以後プライベートでもLINEをするようになる。好意を小出しにして翻弄させてやろうと思ったが、けっこう相手のペースにのまれ、小出しどころではなくなってしまった。これは反省ポイントである。女子高生恐るべし。

 

7月第3週

彼女から手作りケーキをいただく。彼女が夏休みに入ることもあり、デートに誘われまくる。仕事中もガンガン話しかけてきて、若干周りの目が気になる。

 

7月第4週

いまのバイト先から現場を変えることにしたので、これからぐいぐい押して引いてかき乱していこうと思う。8月にはいくつかのデートが控えている。

 

 

……といったところである。今のところの好意のピークは7月の第2週~3週だろうか。今後はもっと謎めいたところを残して、憧れさせておいた方がいいのだろうな。女子高生の恋愛感情は長く続きそうではないと思っているのだがどうだろう。データを残していきたい。

 

 

NR16歳

高校一年生

清楚さはまぁまぁといったところ

処女である

元気いっぱいで天然

背が小さくてかわいらしい

顔はずば抜けてはいないが中々かわいらしい

女子高生との接し方1

 

今日は例の女子高生(以後N表記)が、そこそこのミスをしてしまうという出来事があった。Nは真面目な子なので、自責の念からか涙が溢れそうになっていたが、仕事中であるためかそれを必死に堪える姿が健気でとても美しかった。正直、落ちてしまったかもしれない。これがJKの涙の力か。

 

というように私が彼女の涙の美しさに感動している間に、同じバイトの先輩が彼女を励ましていたが、これがとてつもなくお見事といえる励まし方であり、なんというか人間力の差を見せつけられた気分である。これが男の先輩であったら、Nの恋心を盗まれていたかもしれないと一人で落ち込んでいた。

 

私もNにありきたりの言葉をかけてやったのだが、なんというか正解が分からず仕事をするふりをして彼女の側を離れてしまった。その先輩のような悪くいえば大げさな励まし方を私が試みたとしても、どこか芝居じみていて自分自身がそれに耐えられなさそうである。

 

恐らく2人きりならそういうことはできる。元カノにもそういうことはしてきた。だが、パブリックな空間、他者の目が蔓延る空間になると中々難しい。私は接する人それぞれにおいて適切な人格を選択し、それらを使い分けているということもあり、マンツーマンを超えた人数のコミュニケーションが尋常ではないほど苦手だ。これは今後の人生を考えると、問題かもしれない。万人の前で通用する統一されたキャラをつくりあげねばならないのかもしれない。

 

 

だがそれ以前に、「他者の心」というものにリアリティを人並み程度に感じることが私にはできない。まず人並み程度に感じるということ自体が意味不明である。「他者の心」の存在自体を疑っている節もある。すくなくとも<世界>には存在していないのだから。そんな私が、人情溢れる先輩ほどの励ましなど、到底できるわけないのだ。私はNの人格を愛しているのではなく、Nを認識する際に現象する美を所有したいだけなのだ。

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なんというか彼女と同じシフトに入るのが苦痛である。失態を晒してしまったら困るからである。こうなると彼女とのおしゃべりをして楽しむ余裕はなくなり、正解のアクションを選択し、彼女の好意を維持できた場合にのみ、安心感という名のつかの間の喜びがあるだけである。

 

私はいつもそうだ。不安の感情が強く、そのときを楽しむことができない。人生そのものが正解のアクションを選択したときの安心感と、失態を晒す可能性に怯える不安感とで構成されている。

 

もう、そういうのはやめにしようと思う。ニヒリズム相対主義ヴィパッサナー瞑想がその役に立つと思う。