美とは現象である

『美』は、ある主体がある客体を認識する際の主観のうちに現象する。すなわち『美』とは、ある一定の条件を満たす客体物の本質に属するのではなく、むしろ主体の側の認識に経験的な形式で属するのである。

 

このように定義してみると『美』とは相対的な概念に思えてくるかもしれない。しかしウィトゲンシュタイン的な意味において、世界は主観的認識そのものであり、この世界ーーーすなわち〈 世界〉において、『美』は絶対的に唯一の概念である。

 

そして『美』は、あらゆる現象の中で最も力強く『生への意志』を駆り立てる表象でもある。

 

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男女問わず、高校生は美しい。人が完全な奇形となってしまう境界線に彼らは立ち、だからこそ、その美しさが一層引き立つ。

 

とりわけ女子高生はどんなに高級な宝石よりも、美しい。制服を着た女子高生は、存在そのものが芸術といえる。彼女達と会話をすると、私が奇形となってしまう直前の時代を思い出させてくれる。

 

私はいま、一人の女子高生から恋心を抱かれている。いや実際それは私に向けられたものではなく、彼女自身に向けられた自己愛である。彼女は年上の男性に憧れてを抱いており、たまたま生活圏内に、私というそこそこ気が合い、そこそこの見てくれをしている男がいたというだけの話である。

 

私自身は彼女と付き合うつもりはない。一度付き合ってしまったら必ず終わりが来てしまうからだ。高校生の時間の流れ方ならばなおさらそのサイクルは速いことであろう。私は彼女から、女子高生という生態について、学びを請いたい。そのため、なるべく恋人という関係にはなりたくない。

 

しかし彼女は、私の中で眠っていた生への意志を呼び覚ましてくれた。これについては、感謝してもしきれない。彼女は夏休みに入り、様々なイベントに私を誘ってくるが、多少は応じてみようと思う。彼女の見栄を満たしてあげることで感謝を表したい。そして、女子高生の生態について学んでいきたい。というかデートごっこをしたい。

 

固い文体では疲れてしまうので、次の記事からはもう少しフランクに書いていくことにする。